5月26日20時:#みんな地球人『差別しないために無知の自覚は必要か?』えりなかれんと考えよう💭vol.4

5月26日20時:#みんな地球人『差別しないために無知の自覚は必要か?』えりなかれんと考えよう💭vol.4
配信日時 5/26(水)20:00
タイトル #StopAsianHate『差別をしてしまった経験はある?』えりなかれんと考えよう:thought_balloon:vol.3(録音:red_circle:記事化予定:pencil:
登壇スピーカー karenErina
説明文 #StopAsianHateについてこれまで様々なディスカッションをしてきました:raised_hands_tone1:

・なぜ差別は起こる?
・差別された経験
・ヘイトのない世界とは?
・差別してしまう人のメンタリティは?

これらを踏まえて、差別をどう乗り越えていくかをみんなで話したい:thought_balloon:

今回は前回話せなかった、2人の個人的な経験について話してみます:bulb:

ルームURL clubhouseのルームへ
ロガー ぷくし
※本記事に関する内容は、全てのスピーカーの記録および記事化の承諾の下掲載しております。なお、当メディアにおける記録および記事化のガイドラインはこちらをご参照ください。→詳しくはこちら

 

えりなかれんの部屋とは?

Erina

Clubhouseでコンビとして活動し、なくてはならない存在になったKarenですが、私とKarenはもともと友達だったわけではなく、実はClubhouseで出会って仲良くなりました。

 

Erina(@a.b.c.d.erina)
「クラブハウス創業者トーク」でClubhouse創業者の話を日本語で発信。「#えりなかれんの部屋」で、相棒のKarenと共に国内外の様々なトピックスを発信。フリーランス通訳として、面白い外国人を探す番組からビジネスまで幅広く活動。温泉とラグビーが大好き。

Karen(@kareeen0221)
イギリス生まれ、日本・南アフリカ・アメリカ育ち。2021年2月から「クラブハウス創業者トーク」「#えりなかれんの部屋」でクラブハウス創業者の話や文化を英訳発信し、クラブハウスの文化を日本中に届けている。今年の目標は毎日1本映画鑑賞と適酒。

2人が辛酸なめ子さんから受けたインタビューはこちらから

 

Erina

2人の共通の関心事に「多文化共生」「偏見のないフラットな世界」があって。そのルームをやりたいねと話していました。

Stop Asian Hateの運動が世界中で起きてから、日本では、日本人はアジア人であるにも関わらず、当事者意識がないのはなぜなんだろうって話をしたくてルームを開いて、皆さんとディスカッションしてきました。

今、シリーズで通算7回目。パレットメディアでの開催は4回目になります。

 

Erina
今回はそこから話を広げて、多文化共生的な切り口で幅広く捉えていきます。「差別をしないためには、無知である自覚は必要なの?」という問いに対する議論を、みなさんの意見を聞きながら話せたらと思います。

前回のディスカッションの中で、日本の被差別部落のことを知らない人の話が出て。存在を知らなかったから、そこへの差別が起きなかったんじゃないかって話が出て。

その話を聞くまで私たちは、「差別をしないためには無知の自覚は必要」と思っていたのですが、そもそも無知の自覚が必要ないんじゃないかって疑問が浮かび、今回のルームを開きました。

 

Karen

karen

今回の論点は以下。

 

差別をしないためには、無知の自覚は必要か?

差別が無いのはEqualityか、Equityか?

「普通」「合理的配慮」「無関心」

カミングアウトは必要?

 

登壇してくださったゲストの方々。

H.Sさん(日本) / N.Tさん(日本/アメリカ) / L.Kさん(カナダ) / M.Tさん(日本) / S.Mさん(日本)

 

差別をしないためには、無知の自覚は必要か?

Karen

karen
差別しないためには、無知である自覚は必要かどうか?について、みんなの意見を聞いても良いですか?

H.Sさん
Yes or Noだと、必要だと思います。なぜなら人は自分の見えているものしか見えていないから。他人がどう考えているか、感じているかは、どこまでいってもわからない。そこを認識し、自分が見えていないものがあると認識するところから、それぞれの違いを認めることであり、それは自分自身を認められる要素になると思うので。必要だと思います。

N.Tさん
Yes or NoだとYesだと思っていて。というのも、見えていない部分ってあると思う。もしくは、意図していないものもあるなと。もちろん意図を持ったものもあるんだろうけれど。

 

Karen

karen

なぜこの問いが出てきたかというと、前回のルームで、被差別部落の話になって。

日本でその存在を知らなかった人が、無知だからこそ差別をしなくてすんだって話があって。時間の経過と共に非差別部落を知らない人が出てきて、時間が差別を消した、みたいな例だったんだけど。

N.Tさん
結局、価値観は刷り込まれていくものでもあるから、知らないこともあると思うけれど、価値観の中で育つことが差別に繋がっていくこともあると思う。

H.Sさん
我々は同じ日本人っていう、内側にいる認識だから共通認識やバイアスがあって。線引きがなくなった世界は良いなと思う反面、その観点では、どこまでも差別すると思う。

無知を自覚するかどうかではなくて、無知が良いかどうかだと思う。

 

Erina

私はオーストラリアの高校に通っていた時に、アジア圏の人に過剰に優しく接する逆レイシストの先生がいたのね。移民に対して「あなたは移民してきたのね、大変ね、可哀想ね。優しくしてあげなきゃね」みたいな。

Erina
多分私は見た目ではあまりアジア人とはわからない見た目で、英語もしゃべれるし、訛りもなくて、普通に授業を受けていたんだけど。その先生が私がアジアから来たって知らなくて、最初は私に普通に接していたのに、職員会議で、私がアジアからオーストラリアに引っ越してきたってわかった途端に、「ごめんなさいね今まで、授業わからなかったでしょ?」みたいな過剰な優しさの対象になって。すごい居心地が悪かったのを感じて。

事実がわかった途端に態度を変えるのって、多分その人の中で「こういうグループの人にはこう接する」って線引きをしているからかなって思って。

私は、その人がどういうことを経験をしてきたかをじっくり聞かないと、その人の立場になって物事を考えられない人なのね。だからこそ、私はいろんな人にフラットに接することができるのかなって思っていて。それは無知の自覚なのかな?って思う。

差別しないことって、誰とでもフラットに接することなのか、それともいろんな立場を理解した上で、一緒に歩んでいこうって姿勢を見せることなのか、わからなくなった自分がいます。

 

N.Tさん
もしかしたら、Erinaちゃんが言っているのは、EquityEqualityの違いなのかもしれない。

みんなに平等に接するのがフラットなのか、それとも必要な人に必要な配慮をすることによって、凸凹差をフラットにしていくことがフラットなのか

 

差別が無いのはEqualityか、Equityか?

Karen

karen
そもそも差別はEquality(平等)なのか、Equity(公正)なのか。

Erina

Equityが結果の平等だっけ?

N.Tさん
そうそう、Equityが結果の平等だね。合理的な配慮を行なっていくことによって、機会へのアクセシビリティを同一にすること。

L.Kさん
私理論かもしれないけど、本当の理想的な差別の無い世界って考えたらEqualityの方で。最初からフラットで。

本当の理想形は、バイアスが埋め込まれる前のフラットな状態だと思う。けれど人間は育っていく中で、ステレオタイプや、バイアスがかかっていくと思うから。ちゃんと無知を自覚して学んで、どういうことが世の中で起きているのか知って、対処していくのが良いのかなと思っていて。

無知が良い方に働くこともあるけれど、悪い方に働くことの方が多かったりして。国に対して勝手なイメージを持ってたりとか。

そうならないためにも、自分の無知を自覚して、そこから直していくのが一番良いのかなと思います。

Karen

karen

なるほどね。

知った上で、ある程度の理解を示す。ないしは、共感できなくても理解はできると思うから、知るって結構大事なのかな。

L.Kさん
結局人は人で全員違うから。国民性もあるけど「この人は、ここの国の人だから絶対こうだ」ってのは、勝手に線を引いて勝手に決めつけているだけで、個人を知る前にそれは良くないと思う。私は、その人個人を知るように心がけているかな。

N.Tさん
話を聞いていて思うのが、無知をどこに置くのかによるのかなって思う。

教えられていないことでも、環境依存ってあるから。その人にとっての当たり前は、ある程度のバイアスになると思うし、親とか共同体にバイアスやステレオタイプが端々に隠れているって思うと、無知の自覚が必要って思うかな。その上で、無知を知ることで変えていけるかなって。

 

Karen

karen
なるほどね。

Erina

多分、さっきの私のオーストラリアの先生の話は、彼女がアジア人には過剰に優しくするのは、きっと彼女なりにEquityを目指していて。「アジアで育ったから、言葉わからないでしょ?授業ついていくの大変でしょ?だからボックス2つあげるわよ。」みたいな。

でも結局それが、アジア人にとっては嫌な対応になっていた。居心地の悪い環境を作り出していたんだよね。

Karen

karen

その先生が生徒をアジア系の移民なのかどうかを知っていたか否かって視点もあると思うけれど、知った上で、日本人が求めているものを知っているかどうかって話にもなると思っていて。

その先生はEquityを目指していたけれど、正しい理解がなかったから、配慮がずれていたってことかな。

N.Tさん
正しさとか気持ちの押し売りになると、偽善になっていく。受け取る側は「いや、求めてない」ってことになる。これは社会課題を解決しようと動いている人たちの中でも起こり得ていることだと思う。

 

Karen

karen

物事って、「正しい・正しくない」で判断するのって難しいし、それで判断するのは危険だと思っている。情報が「正しい・正しくない」で判断するよりも、「情報が合っているか、合ってないか」で判断するべきだと思う。

無知の状態から知っている状態へは、なかなかたどり着きづらいし、追い求めると無限だから、じゃあどこまで知っていれば良いのかな?

 

N.Tさん
必要な人が、何が必要なのか声を上げられる環境も大事だと思っている。

Karen
こっちがどこまで知るかじゃなくて、それ以上に差別される側が、何が必要かを発信できるかが大事ってこと?

N.Tさん
差別の話になると、一方通行の話になるから難しいけれど。

例えば障害者に対してソーシャルワークを行っている人は、障害者が何を求めているかを考えるけれど、例え健常者同士でも理解し合えないのが人間なわけで。なのに勝手に「この人たちはこうだから」って、例えば右手が動かない人はこれが大変でしょう?って勝手に決めて勝手に進める世界になっている気がして。

じゃあ何が不便なのか聞いて、それをどういう風に解決できるか聞けるのが大事じゃないかなって思う。

Karen

karen

EqualityとEquity、平等なのはどっち?

差別がない状態はEqualityなのか?Equityなのか?って話してみると、じゃあ仮に差別が無いのはEqualityだ!ってなった時に、

差別がない状態のためには知識が必要か否か?
どの程度の知識が必要か?
・そもそもみんなにとっての、差別が無い状態とはEqualityか?Equityか?

というのを聞いても良いですか?

N.Tさん
僕は個人的には、差別が無いのはEqualityだと思っています。
なぜかというと、私たちは自分たちのことを主観でしか見られないから。

例えば、所得に対してベーシックインカムの金額を変えますとか、一時給付金の金額を変えますとかの話になると、なんであの人は自分より貰ってるの?みたいな話になるわけですよ。

なぜあの人は、自分よりも良い暮らしをしているのに、自分よりも給付金をもらっているんだろう、とか、困窮家庭よりも生活保護を受けている人の方が贅沢な暮らしをしているのはなぜだ?って話になる。

そういう意味では、Equalityの「状況がどうあれ実現される待遇の量は同一である」の方が、わかりやすく、みんなが平等であると納得するんじゃないかなと思う。

あとEquityをこの図でやる時に、一つ落とし穴があって。
これ、一番背が高い人の目線に合っていて。ってことは、その業界の話やお金の話を、一番高いところに合わせなきゃいけない。それは実は無理な話で。

一番高い人が、かがまなきゃいけなかったり、一番高い人の場所をboxひとつ分下げなきゃいけない話になってくる。そうなった時に、そういう人たちから文句が出てくる。資本主義においては、できる人ができるという権利は、主張されるものであるから

 

Karen

karen

私的には、差別が無いというのは、機会平等だと思うんだよね。結果的に平等っていうよりも、平等になりうる機会を与えられていること。そういう意味ではEqualityに近いんだけど。機会の与え方が等しい状態。

 

L.Kさん
自分の中で完全なEquity Equalityというより、そのベースだと思う。

最初から身長の高い人は、かがまなきゃいけない話が出ましたが、どれくらい見えていようが変わらなくて。差別とか偏見を無くすのは、フェンスを取り壊して無くすこと。理想形はそれだと思う。

もし、フェンスをいきなり無くすのが難しかったら、フェンスを下げる努力っていうのが、無知を自覚して学んでいくことに似てるのかなって思う。

自分の中では、EqualityでもEquityでもどちらでもなくて、そもそも両方のバランスであり、それを取り除いていくことによって差別は減っていくのかな、壁が無くなることによって、差別は減るのかなって思いました。

 

H.Sさん
Equality Equityは、個人的には、今まではEqualityを大切にしてきた自覚があって。何かというと、誰に対しても同じように接するってこと。

差別の問題は向き合い方だと思うから。誰に対しても同じような接し方をされる社会は、それぞれのアイデンティティ問わず、Equityではなく、Equalityとして同じように接されるのが差別の無い世界かなと思う

Equityの観点の場合は、究極は、その人をその人として扱うことなのかなと思っていて。それができた時に、誰に対しての態度や扱い方を変えても、その人の存在としての価値がイコールになっている世界が目指している世界かなって思っていて。

 

Karen

karen

私が思う差別が無い状態は、今言ってくれたように、その人をその人として扱うことに近いなって思う。その人をその人として扱って、それを、良い方向で扱うイメージかな。

そうすると差別が無くなっていって、それが「みんな地球人、みんな宇宙人」状態になっていくのかなって思ったな。

 

Erina

その人をその人として扱うってどういうこと?

Karen

karen
例えば、ErinaとKarenに何か説明をしたとして、全く同じ一言一句同じ説明をするのではなく。私には私にあった説明を、ErinaにはErinaに合った説明をする、とか。その人ひとりひとりに、その人を尊重した接し方をするイメージ。

Erina

うーん、なるほどなぁ。それをするためには、その人のことをよく知ることが必要だよね?

 

H.Sさん
その人ひとりひとりの取り扱い説明書を作ろうって話ではなく、それはその2人の関係性の上で成り立っているものだと思う。目線が上だったり下だったりではなく、スタート地点が平等ってところからできるのが理想なのかなって。

L.Kさん
自分なりに意見を付け加えるなら。
人に会った時に、この人は国籍が何だからこうだとか、このマイノリティのグループだからこうだって決めつけるのではなく、別に苦手な人はいて良いと思う。

でも苦手な人を最初から、その人の持っているもので勝手に解釈して接するのではなく、まずはフラットに接して、相手を知っていこうとして、その上で、この人は気が合わないなとか歯車や調子が一致しないってなったら距離を置く対応もできるけれど。

基本的には、相手を知る意味ではフラットに接して、仮定しないで学ぶ姿勢が大事って思いますね。

 

Erina

うーん…。結構、前回ディスカッションした「差別って先天的か、後天的か」の話に繋がるのかなと思っていて。

例えばその事前情報や視覚情報だったり、その人に関する知識によって対応を変えるのって、差別?例えば、肌の色だったり、ジェンダーだったりで対応を変えるのって、差別じゃん?うーん…わからない、意見がまとまりきらない。

M.Tさん
こんばんは〜。ほぼ答えは出ている感じはしつつ、でもまとまらないんだろうなあと思って手を挙げました。

最近読んだ本で面白かった本があって。良かったらみんなにも手に取ってほしいものがあったので、紹介しつつ差別の話のヒントになればいいなと。『僕は挑戦人』っていう本なんですが。“朝鮮”と、“挑戦”をかけてあるんですね。

この人は京都にある被差別部落で生まれ育っているのですが、自分はそのことを知らずに生まれ育っているんですよ。その地域の小学校に入って、1年生2年生は楽しく過ごすんだけど、3年生か4年生くらいになって、友達の親が「あの子とは遊んじゃいけません」って言うようになるんですね。

それって、親からの入れ知恵というか。友達の親が「遊んじゃいけません」って知識を与えたことで、昨日まで遊んでいた子が遊ばなくなる。その観点では、知識ですよね。

だけどその知識を得た後に、自分がどういう態度を取るのかが学びだと思っていて。本来はそれは親や教師が教えたり、セットで教えなきゃいけないことだって思ったんですよね。

自分が小さなコミュニティにいる間は、子供の時って自分が当たり前だから自分中心だし、人との違いを知らなくて良いけれど、社会人になったりグローバルな世の中になって、沢山のいろんな人と接した時に、自分と違うものを恐れるから、差別するのかなって私は思うんですよね。

そこで、学び、ですよね。

知ることの先にある学びを、自分の中でアップデートしていくことは常に大事で。

『ちびくろさんぼ』の本も、昔は悪いとされていなくて絵本やアニメになっていたけれど、今は差別だ、良くないとされています。時代と共に変わることっていっぱいあると思うんですよ。

だから今知ったことも、5年10年後にはその基準はどんどん変わっていくから、学び続けることと、自分と違うことをどれくらい受け入れるかで、差別する心が無くなっていくんじゃないかなって思います。

 

Erina

やっぱり、差別を乗り越えるには、差別の自覚は必要っていう意見に近いのでしょうか…?

M.Tさん
無知の自覚は必要だと思います。自分が差別をしていることに気付いたり。知った時には、面倒と思ったり怖いと思ったり、ネガティブな感情がセットになってやってくると思うんですよね。でもそれを乗り越えることを面倒と思ってしまったら、そこで立ち止まってしまうから。

知らないことを知らない小さな世界では、「だって私、知らなくても生きていけるじゃん?」「だって私には関係ないから」って言えますよね?だからアメリカで起こっている差別問題も「なぜ僕が考えなきゃいけないの?」って他人事にしてしまうと、そこで学びは止まってしまうけれど。

そこに思いを馳せる。想像するってすごく高度な能力だと私は思っていて。相手の痛みが分かるのは、想像力の一つ。そして想像する力を養うのは、知ることが大事だと思う。

例えば、このEqualityとEquitityのイラストも、「この木箱を誰が用意したのかな?」とか、「木箱を沢山持っていた人が、木箱の少ない人に自分の木箱を譲ったのかな?」とか、いろいろ想像できる。「一番背の高い人が、背の低い人を肩車しても良いよね」とか思ったり。

そういう想像をして、今みんながここで議論しているように、いろんなことに思いを馳せて考えていることが、差別を無くす世界に向かっていくんじゃないかなって思います。

 

Karen

karen

関心が無かったら自覚もしないので、そうですよね。そういう意味では私は、無知なこと自体が問題ではなくて、無知の自覚がないことが問題かなと思っていて。

だからこそ今日のルームのタイトルも、「差別しないためには、知識は必要か?」ではなく、「差別しないためには、無知の自覚は必要か?」って問いにしたのは、そのためです。

M.Tさん
「知らなくても生きていける」「私が楽しいから、知らなくても良い」っていうのは、知ることを恐れているような気がします。

今ある差別には、ネガティブな背景や歴史があると思うんですが、それを知るのはしんどいなって気持ちが湧いてくるのだと思います。

その歴史背景を知った上で、そのルーツやハンデに関わらず、あなたのことが好きよ、私たちは友達よってお互いに言えたら素敵だなって思うから。無知の自覚は必要だと私は思います。

わからないものを恐れないというのも大事。

 

Erina

そもそも無知の自覚は必要無いって意見もありましたが。

その例で言うと、被差別部落自体知らなかったら、その人を差別しないわけで。その意味で本当にフラットに接することができる?

M.Tさん
その地が被差別部落だった事実は歴史としてあるので、それを無かったことにはできないわけよ。

もちろん、現代になって取り壊しになって地図が塗り変わっていって。でもそれは50年くらい経ってやっと「昔はそうだったんだ」って言われるようになると思っていて。

「知らなかった」というのと「知っている」とでは、違うんじゃないかな?蓋をしてしまうのは、歴史を歪めることになるしね。

 

Karen

karen
やっぱり経験から学ぶからね。それに、蓋をして無かった事にしたら、いつかまた同じことが起こる。あるいは、また起こらないという保証はできないって思う。

L.Kさん
あと、「自分は完全に無知でフラットです」ってどうやってわかるの?って思う。

この世の中に生きていて、一切の先入観が無い状態って、子供世代ならあり得ても、大人の年齢ではあり得ないと思う。「自分は無知だからフラットに接することができた。」って自分で思っていても、その無知は本当に何も無いのか、それとも自分が思っているだけ、わかっていないだけで。実際には先入観やステレオタイプで考えていると思う。

だから無知の自覚は必要だし、自分がどこでどんな思いをして接してきたのかを考えることは必要だと思いますね。

 

「普通」「合理的配慮」「無関心」

Karen

karen

さっきおっしゃってくださった、大人になって見る世界が広がって、知らないものや、わからないもの、知っているけど理解できないものが増えて、それに対する恐怖を抱いて、その恐怖が差別に変わるっていうのは、これまでやってきたルームでも話題になって。

人は理解できないものを恐れるし、排除しようとするし、それで安心感を得て自己を形成する話もあるなって思って。だから、わからないものを恐れないのも大事だと思いますね。

 

N.Tさん
わからないものを恐れないのは無理な話だなと思っていて、だから知る行為になるのかなって思うかな。

M.Tさん
自分と違う、あるいは自分と異質のもの、かな。差別に繋がる話だと。

例えば、私は今「普通ってなんだろう」ってゼミを小さく開催しているんだけど。普通って言葉が、現代人の私たちを苦しめていると思っていて。

私たちは、みんな自分のことを普通だと思っていて、その基準から外れるものに嫌悪感を感じたり、差別するんだろうなって思うんだけど。

その、「普通」ってなんだろう?自分自身も普通であろうとして、背伸びをしたり無理をしたり、普通じゃ無いことをできるだけ隠そうとしたり直そうとするんだけど、みんな違うのが当たり前で。

私はよく、悩んでる20代の子に「銭湯に行きなさい」と言うんだけど。銭湯に行くと、誰一人同じ身体の人っていないじゃない?みんな体つきが違ったり、肌が黒かったり白かったり、同じ日本人でさえ肌の色も違うし、髪の色も違ったり。年齢でも体って変わっていくし。それを見てると、人って違うんだ!って、すぐ直感的に理解できるかなと思っていて。

ひとりひとり違うことをまず受け入れる。違う前提のもとに生きていくって、そんなに難しいことじゃないはずなんだけど、きっと難しいんだろうね。

 

Erina

私は、自分で自分のことを普通だと思っていなくて。むしろ普通が嫌だっていうか、みんな一緒じゃつまんないって思うし、自分も異質でありたい、みたいなところがあって。

Erina
例えば実験で4種類のビールがあった時に、国によって、人がどれを選ぶかの実験があって。

最初に注文する人がAのビールを頼むと、みんながかぶったら嫌だから、A B C Dってバラバラに違うものを頼む国民性と、みんな同じAのものを注文しがちな国民性があるらしいんですよ。

普通に縛られている人が日本は多いなって思うし、逆に海外だと、普通じゃ無いことに縛られちゃう国民性があると思っていて。

やっぱり、このトピックで話していて、自分が怖い時、余裕が無い時に、ネガティブな差別って発生するのかなって思っていて。

自分は自分、他人は他人、って思える心があったら、平等に、他人は他人って見れるのかなって。無知であっても平等に人を扱えるのかなって思いますね。

もし自分が被差別されるグループにあったとしたら、自分だったら相手に、そのことを知らずにフラットに接してくれてる方が嬉しいかなって思います。

 

Karen

karen
私は知った上で、平等に接してくれる方が嬉しいと思うかな。

L.Kさん
自分が相手に知っててもらいたい情報を気軽に言えて、それが差別や偏見を生まない世界になれば、差別は無くなるっていうか。

私の周りでも、年齢も国籍も、ジェンダーアイデンティティも全くわからない友達もたくさんいて。逆に友達から見ると、私のことも、日本から来たことを知らない友達もいたし、私の年齢を知らない友達も、しばらくの間たくさんいて。

ただその人個人として付き合っていて、それから相手のバックグラウンドを知っていって、その時に相手に知ってもらいたいなって思った時にオープンにそれをシェアできて、受け入れてもらえる世界が一番理想的なのかなと思ったり。

 

N.Tさん
私は、知ってもらった上で配慮してもらいたいと思う。配慮してもらいたいと言うと語弊が生まれるけど、それが当たり前にそうである状況になれば良いなって思う。

例えば、メガネ。

目が悪かった人たちが、メガネによって遠くが見えるようになった。日常生活に支障が出なくなった。今までは目が悪くて遠くが見えなくて、それによって生活に支障が出ていた人たちは、Disabilityだった。障害になっていた。それをメガネで飛び越えることができて、みんなもメガネかけている人たちに対して、メガネが力量に関係するとかは、基本的にない。

そのくらい当たり前になれば良いと思っていて。

例えば私の場合は、食物アレルギー持ちなんですね。

日本では、みんな一緒に食べようという文化があって、お店で一緒のものを注文できませんってなると、お店の人にも嫌な顔されるし、周りの人からも「なんで注文しないの?」って話になってアレルギーだと理由を話すと、ごめんねって話になって。謝ってもらいたい話でもないし、謝られることでもないと思っていて。

ヴィーガンとか、マクロビとか、食の精神がある人たちも同じような悩みを抱えているのかなと思う。それを話した時に、腫れ物にするのではなく、それ相応の配慮をする。最近は障害学の世界では、「合理的配慮」って言われたりするけれど。その認識が広がっていけば理想なのかなって思う。

 

S.Mさん
こんばんは。ちょっと前から聞かせてもらっていたのですが、社会的に受ける差別と、個人から受ける差別が混じっていて、よくわからなくなっているのかな?って、聞いていて思って。

誰かを差別しないというのは、先入観を捨てるってだけなんですよ。簡単に言うと。

例えば、ミックスルーツの人に「人生大変でしたね」って言うのは偏見じゃないですか。その人は楽しく過ごしてきたかもしれないし。あるいはミックスルーツの人に、「ハーフだとちやほやされるからモテたんでしょ?」って言うのも、偏見じゃないですか。

それって先入観と一部の情報によって、何かを判断している。これが偏見であり、差別に繋がるのですが。

目の前の人を外部情報から判断しないことを徹底的に心がけれれば、個人がする差別や偏見は無くなると僕は思っていて。

それと、さっきおっしゃられていた「合理的配慮」っていうのは、今現状の社会システムや、社会の相対の意識が、マジョリティに合わせた設計がされているので。

例えば食物アレルギーであれば、食べられない人には、選択肢が少ない状況が生まれています。その、選択肢が少ない状況で、社会的な生活に支障が起きている現状は、理解しないといけない。

これが、合理的配慮によって選択肢を増やし、アレルギーが無い人の生活もアレルギーがある人の生活も、支障がなく過ごせるように設計されるべき。それが社会的な合理的配慮になるのですが、それがなされていない状況を否定する人が出てくるんですよね。同じ機会が得られていない現状に対して、平等じゃないと言ってくる人がいて。

今、僕プロフィールの画像を変えたのですが、「ヘイト・偏見のピラミッド」というものがあって。

一番下が、「無関心」なんですよね。

一番下は「抑圧の存在を否定」って書いてあるのですが。抑圧されている人を「抑圧なんてないじゃないか」って否定する、これが無関心であって。

そこを、実際に抑圧されていますよって現状認識する、勉強する。無知であってはいけない。というイメージで。

個人的な偏見を、色眼鏡をはずす、先入観を持たないようにするっていう軸と、社会的な抑圧や、社会的な差別、不平等があることをどう認識するか、っていうのは、ちょっとレイヤーが違う問題で。混同しちゃうと、どんどんややこしくなっていくのかなって思って、この図を持ってきました。

 

Erina

ありがとうございます。

個人レベルでの差別と、社会として、平等な選択肢を広げることは、切り分けて考えなければならない。

S.Mさん
そうですね。

で、ここでややこしいのが、その現状で不平等があることを念頭に置かないで、色眼鏡だけを外していくと、社会的に受ける抑圧が無かったことになってしまうんです。

差別について議論していると、「差別というもの自体が無くなって、誰も差別なんて言葉、忘れちゃうぐらいが良いよね」って言う人がいるんですけれど、それは遠い遠い未来の話であって。

今それを求めてしまうと、現状抑圧されている人たちを無視すること、見ないことに繋がってしまうんですよね。そこが難しいところだなって思いますね。

Clubhouseが始まった当初って、LGBTQやセクシャルマイノリティに関する議論が盛んに行われていましたが、その中で当事者の一人の方が「人類何十億人いて、何十億通りのセクシャリティだ」とおっしゃったんですよね。

セクシャルマイノリティは今、LGBTQ+とか言われていますが、もっと細かい複数軸の組み合わせによっては、めちゃくちゃ細かい名称があったりするんですよ。

その名称を一個一個説明していくと、「そんなの覚えられない!」ってなって。その時に、10人いたら10通り、何十億人いたら何十億通りでいいじゃんって方向に行ったんですよね。

それって、それぞれに名称をつけることで、特定の抑圧を受けている問題に対して認識をすることができるんですよね。

セクシャルマイノリティも、例えばゲイって言われてた人たちの中にも、いろんな抑圧の種類があって細分化していったんですけれど。問題を突き詰めて見ていくと、どんどん細かくなっていく。で、それをやり続けた先に、何十億通りになっていくんだと思うんですよね。

乱暴に「みんな違って、みんないい」にすると、それらの細分化した問題が見えなくなるところがあって。その問題に対してアプローチするなら、なるべく調べて勉強が必要だな~と思っています。

Erina

ありがとうございます。今、この瞬間こそ、まさに無知の自覚になりました。

 

S.Mさん
僕も日々、知識が増えて、認識が変わって…の繰り返しなので。

 

Karen

karen
そこを根気強く続けていくのがすごく大事という意味で、私たちのこのルームも毎回毎回、結論が出るわけでは無いけれど、このルームをやっていくことに、そういうところに意味があるなぁと思いますね。

 

カミングアウトは必要?

Erina

一個今、新しいトピックとして、頭に浮かんできたことがあるんだけど。

ルーツを知られたくない人っているじゃないですか。自分がもしマイノリティだとして、なんでそれを知られたくないんだろうって考えると、社会として、どうしても色眼鏡で見ちゃう人が多いじゃないですか。

例えば、オーストラリアは移民の国で、いろんなルーツがある人がいるからどこの国から来たのか一概にはわからないんですよ。その時に、だったら私は、別に知られたく無いなって思って。

 

M.Tさん
カミングアウトする自由っていうのはあるね。カミングアウトしたくないのにしなくて良いし、したいと思った時にできるような社会でありたいし、そんな私たちでありたいって思う。

私も若い頃は「言ってくれたら良いのに」って思っていたのね。ゲイならゲイだとカミングアウトしてもらった方が良いのにって思っていて。私自身の知識も足りなくて。

でも今は、それも本人の自由だから、それを言うか言わないは他人が決めることじゃ無いと思うし、それ告白してくれた時は「言ってくれてありがとう」って思うし、考えるように変わっていったかな。

S.Mさん
個人のアイデンティティについて、言う必要がない、そして、言っても対応が変わらない世の中が理想ですよね。

N.Tさん
「日本の良さってなんだろう?」って考えた時に、「言わなくても分かってもらえる文化」の良さってあると思っていて。

言っても言わなくても対応が変わらないのは、すごい理想的だし良いなって思うし、言っても言わなくても、その人の評価として変わらないけれど、言ったことによって、この人はこの方が良いのかな?って汲み取ってくれるのが残るとすごく良いなと思っていて。

世界と違って、日本には日本の配慮の仕方、向き合い方を見つけていくのが、日本の文化を残しながら共存していくすべなのかなって思う。

日本好きな人は多いし、日本を好きだと言ってくれる海外の人も多いし。そういう視点を持ちながら、今の問題解決を考えていけると良いなって思うことはあるかな。

S.Mさん
言わなくても配慮する、汲み取って配慮するのも、偏見がどうしても入るから危ない、とも僕は思うかな。

例えば街を歩いていて、主観でこの人外国人だなと思った人がキョロキョロしていたら、道に迷っていると思って英語で声をかけたとして。その人が日本国籍の、日本で生まれて育った方だったらすごく失礼だし、それは差別になる。

N.Tさん
それを相手が差別と取るかどうかというフェーズがあると思うので、イコール差別ではないと思うけどね。

S.Mさん
それって相手によるのでわからないじゃないですか。わからないけれど、どっちであっても、まずは日本語で話しかけるというのも、ひとつの配慮。で、日本語が通じなかったら英語にしてみようって。

N.Tさん
それって、言った側の配慮もあると思うし、受け取った側の主観もあるだろうし、わからないじゃないですか。わからないから、できるだけリスクを減らしていこうというのが今の主流だと思っていて。でも、それってどうなんだろう?

大学での議論で、相手が傷つくことや、相手の意見を否定することはしないでくださいって言われているわけです。ということは、大学で、議論への指導としてできるのは、相手の言ったことをとりあえず肯定してください。になるんですよね。それって、もはや議論が生まれていないんですよね。

ようするに、配慮する側の気持ちと、配慮された側の受け取り方は千差万別で、態度や言葉だけで計り切れるものではないと思っていて。同じことを同じ人に同じタイミングで言われても、その日によって受け取り方が違ったりさえする。そこまで配慮できるのは不可能だと思っていて。

そうなった時に、こうだからこうだよねっていう押し売りではなくて、私はこう思ったという配慮が見えたり、受け取る側も配慮を感じ取ったり、それが自分の意図していたものや、想像や、自分がして欲しかったことと違っていても、あ、こういう風なことを思ってやってくれたんだろうなって、そういう心持ちでいることでしか、解決策は求めきれないと思ったりします。

S.Mさん
そこの配慮が議論となると難しいのですが、目の前の人が困っていそうな時に手を差し伸べるのも一つの配慮だと思うのですが、相手がそれをされたいか、されたくないかは、わからないじゃないですか。

例えば、街中で杖を持っている人がいるとして、僕だったら、案内必要ですか?って聞くんですが、聞かずに、有無を言わせずに案内してしまう人もいて。相手の意向を確認しない無配慮が日本でも多いと思っていて。「当然これやられたら嬉しいでしょ?」みたいな押し付けが。これは無配慮だな~って。

N.Tさん
やっぱり、助けが必要な時に必要だって言える大事さと、必要かどうかを確認すること。かつ親切の押し売りではなく、もっとハードル低く「必要ですか?」って聞いて、もっともっとハードル低く頼ったり、断ったりできるのが求められているのかな。

「配慮しないといけない」も違うと思うし、「配慮すべきだ!」も違うし、なんとも難しいって思うんですよね。いつも。

M.Tさん
そういう態度にしてほしくないってことも、生徒が先生を育てる必要はないけれど、先生も多分、経験が浅かったり未熟だったり、それを生徒が求めていなかったり。親と子供の疎通でもズレがあるかもしれないし。

それを求めてたんじゃないって言いあえる関係性も大事で、言える場を常に作っておくのを意識しておくと良いのかもしれないね。

それよりも、助けてあげたいって思った気持ちの方が、優しい気持ちとして、私が受け手だったらそういう風に受け取るし、そういう風に受け取る余裕を持つことも、差別の無い世の中に繋がっていくのかなって思います。

N.Tさん

配慮が押し売りになったら、それはまた別問題だから。押し売りがあった時は、配慮したことを責めるのではなく、それは押し売りの部分を責めなければならない。ちゃんと切り分けないといけないって思う。

まとめ

Karen

karen

このルームは、2週間に1回くらいのペースでやっていて。今回もいろんなことを話して。毎度のごとくいろんな気づきがあったなって。

私は、無知の自覚は必要か?って今日の問いに立ち返ると、私の意見としては、自覚は必要だと思ったし、その上で、共感できなくても理解することはできる、知ることはできると思う。知るからこそ、共感できなくても接し方を変えたりもできるのではないかな、と思いました。

Erina

私としては、このルームが始まる前にKarenと、お互い意見を考えまとめておこうねって話していたのですが。今日いろんな人の話を聞いてて、またいろんな角度が見えて来て。だからこそ、また自分の立場がわからなくなったり、自分の意見が分からなくなって。回を経るごとに、モヤモヤが増えている気がするのですが、それこそが無知の自覚なのかなと思ったりしています。

Karen

karen
そんなところで、今日の2時間、お付き合いいただいてありがとうございました。

Erina

個人的には、モヤモヤしている人もたくさんいると思うのですが、そのモヤモヤも持ち帰って考えていただいて、ぜひ次回の構想に参加いただけたら嬉しいなと思います。

Karen

karen
ではみなさん、ありがとうございました。

 

登壇者

Erina(@a.b.c.d.erina)

Karen(@kareeen0221)

ゲストのみなさま

編集:ロガー

 

カナダ移住し広告とEC運用してます。パレットメディアで記事書き|Clubhouseで【旅部】の部屋を開いたり|多拠点居住話が聞きたい|リンク先に記事や告知掲載|越境EC 北米移住←広告代理店←EC企画運用←PM•デザイナー|日本とカナダのデュアルワーク始めました。

Twitter:https://twitter.com/pukushi
note:トロント暮らし

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